音声レベル基準とラウドネス管理の実践ガイド
試合前日のリハーサルでは何も問題がなかった。本番当日、現地球場からAES67で送られてきた実況音声を副調整室のDanteネットワークに受け入れた瞬間だけ、スピーカーからいつもより硬く尖った音が出た。メーターは正常に振れている。ピークも規定の範囲に収まっている。それでも耳で聞くと、他系統の音より明らかに音圧が違う。フェーダーを何度も動かして探ったが、原因はフェーダーにはなかった。原因に気づいたのは、翌週、別の中継車を接続したときに同じ現象が再現してからだった。

IPで音声を運ぶAES67やSMPTE ST 2110-30は、48kHzでサンプリングした波形の数値をそのままネットワークに乗せる。だが、その数値がアナログの何ボルトに相当するかという「基準」は、規格そのものの外側で決まっている。北米の放送機器は、SMPTE RP155が定める+4dBu=−20dBFSという基準で設計される(出典:SMPTE RP155-2014)。欧州系の機材は、EBU R68が定める0dBu=−18dBFSという基準で設計される(出典:EBU R68-2000)。数値にすればわずか2dBの差だが、複数拠点をIPネットワークで束ねた瞬間、この2dBはそのまま音圧の違いとして耳に届く。しかもAES67のSDP(セッション記述)が伝えるのはチャンネル数・エンコード方式・ビット深度・サンプリング周波数・パケットあたりのサンプル数であり、送出側がどちらの基準でA/D変換したかを示す項目は含まれていない(出典:AIMS Alliance「AES67-101」)。基準の食い違いは、IPの区間そのものには一切現れないまま、スピーカーの前でだけ姿を見せる。

基準レベルの食い違いは、二つの体温計が違う目盛りの起点を持っているようなものだ。片方は氷の融点を0度に合わせ、もう片方はわずかに違う点を0度に合わせている。どちらの体温計も「正確に測れている」と表示し続けるが、二つを並べた瞬間、同じはずの体温が微妙に食い違う。IP音声も同じだ。拠点ごとの基準がそれぞれ正しくても、複数の拠点を1本のネットワークで束ねた瞬間だけ、その食い違いが表に出る。あなたの機材が壊れているのでも、設定を間違えたのでもない。基準という前提そのものが、拠点ごとに違っていただけだ。

この食い違いを消す方法はある。しかも複雑な機材の入れ替えは要らない。必要なのは、基準そのものを可視化し、どこで補正するかを設計段階で決めておくことだけだ。
有料部を読み終えると、次が手元に揃う。
- 北米・欧州の基準レベル早見表と、SDI時代になぜこの基準が生まれたかの出典付き解説
- 現場で基準ズレを検出し、補正ポイントを決めるステップバイステップの手順
- 放送用と配信同時制作用でラウドネス目標値を分ける設計手順(ATSC A/85、EBU R128、主要配信プラットフォームの数値付き)
- 複数拠点のIP音声ネットワークを接続する前に確認すべきチェックリスト

この基準のズレを放置したまま、耳の感覚とラウドネス調整だけで帳尻を合わせようとすると、ATSC A/85が定める−24LKFS±2LUという許容幅(出典:ATSC A/85:2013)を静かに踏み外すことがある。米国ではCALM Actにより、この許容幅を外れたコマーシャルや番組は法令違反になる。次に拠点を接続する前に、基準そのものを揃えておく設計図が、このあとにある。


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