対象読者:撮影・美術・CG合成・中継業務に携わり、IP伝送技術(NDI・SRT・ST 2110等)に関心を持つすべてのプロフェッショナルへ。
ガラス風のロゴが、本番モニターでは黒い板になっていた

企業イベントの中継だった。美術・CG担当が仕込んだオープニング映像は、半透明のガラス板にロゴが浮かぶ演出。編集ソフトのプレビューでは、背景の照明がガラス越しにうっすら透けて美しく見えていた。ところが本番のIP伝送経路を通してスイッチャーに映した瞬間、ガラスだったはずの板は真っ黒な四角形になっていた。素材のファイルは同じ。色も明るさも変えていない。美術もCGも、何一つ作り直していない。原因は、映像そのものではなく「透明という情報」を運ぶ経路の側にあった。
透明は、映像とは別の信号として運ばれている

映像信号には、色と明るさの情報しか原則として存在しない。「ここは透けて見える」という透明度の情報(アルファ、あるいはキー信号と呼ばれる)は、多くの伝送方式で別建てのデータとして扱われる。SDIには規格上アルファチャンネルという概念自体が存在せず、透明度を伝えるには色情報の映像(フィル)とは別に、透明度だけを白黒の濃淡で表した映像(キー)を、2本の物理ケーブルに分けて同時に送るデュアルリンク構成が必要になる(出典:vMix公式ヘルプ「Key and Fill output support」、Blackmagic Design公式フォーラム)。IPになっても事情は同じで、経路によって透明度を運べるかどうかがまったく違う。NDIはプロトコル自体としてアルファチャンネルに対応しているが、送信側の映像バッファをBGRA形式に設定しない限り、既定のNV12やYUV形式では透明度の情報がそもそも乗らない(出典:vMix公式ヘルプ「Alpha Channel Support for NDI Output」、DistroAV/OBS公式GitHub Issue #68)。そしてSRTやRTMPが内部でよく使うH.264・HEVCという圧縮方式は、規格そのものにアルファチャンネルの定義を持たない(出典:Larry Jordan「Include Transparency (Alpha Channels) in HEVC Video」、Solveig.MM社ブログ「Checking HEVC with Alpha Channel Support」)。今回の現場は、CG制作段階ではBGRA・アルファ付きで書き出した素材を、本番の圧縮配信経路にそのまま流し込んでいた。透明度を運べない経路に、透明度が必要な映像を渡していたことになる。
美術もCGも、間違えていない
アルファチャンネルは、透明な窓ガラスに貼った「ここは透けて見えます」という付箋のようなものだ。ガラス板(映像)そのものはどんな経路でも届く。しかし付箋(透明度の情報)を運べない配送業者に頼めば、届いた先にあるのはガラスかどうか分からない一枚の板でしかない。受け取った側は、それを安全側に倒して黒く塗りつぶす。窓のつもりで作った演出が、壁になって出てくるのはそのためだ。美術もCGデザイナーも、透明な素材を正しく作っていた。問題は、その透明という付箋を最後まで運べる経路を、誰も選んでいなかったことにある。
この差は、経路を選べば埋められる

この事故は機材の故障でも偶然でもない。SDIならデュアルリンクのキー・フィル、NDIならBGRA設定、ST 2110ならキー信号対応の版を選ぶというように、透明度を運べる経路には共通の設計ルールが存在する。実際、放送用の非圧縮IP伝送規格であるSMPTE ST 2110-20は、2022年の改訂で初めてキー(アルファ)信号の伝送に正式対応した(出典:The Broadcast Bridge「Standards: SMPTE ST 2110 – ST 2110-2x Video Transport」)。どの経路を選べば透明度が生き残るのか、判断の基準はすでに存在している。
この記事で手に入るもの
有料部では、次の内容を具体的な数値とともに手に入れられる。
- SDI・NDI・ST 2110・圧縮配信という4つの経路それぞれで、透明度がどこまで運べるかの対応表
- キー・フィル信号を追加した場合に必要になる伝送帯域の計算式と実測目安
- 本番前にアルファ・キー信号の生死をチェックする実測手順
- 美術・CG発注時に伝送担当へ伝えるべき設定項目のチェックリスト

次の現場で、黒い板を見ずに済むように
この基準を知らないまま本番のIP伝送経路を組むと、リハーサルで初めて透明の演出が消えたことに気づき、本番直前に美術・CG・スイッチャーの三者で原因を探し合う時間が生まれる。次の現場で同じ黒い板を見なくて済むように、経路ごとの設計基準をこのあとにまとめた。


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