IPオーディオ・ルーティング設計とステージボックス選定の基礎
対象読者:撮影・配信・制作進行など映像制作の現場に関わり、音声をIPで運ぶ設計に足を踏み入れ始めたプロフェッショナル。ステージボックスやデジタルミキサーのIP化を検討している、あるいはすでに移行して原因不明のトラブルに悩んでいる人。
本番開始1時間前、副調整室に増設した収録用のステージボックスから音が来ない。ケーブルは挿さっている。ステージボックス側のランプは緑に点灯し、機材は正常に起動している。それでもミキサーのフェーダーを上げても、メーターの針はぴくりとも動かない。技術スタッフは配線を疑い、次にステージボックスの初期不良を疑った。原因はどちらでもなかった。増設したポートは、機材倉庫に残っていた古い100Mbpsのスイッチだった。

この現場で起きていたのは、チャンネル数の設計ミスだ。Dante公式のネットワーク管理者向けガイダンスは「32チャンネル以上の運用にはギガビットスイッチが必須」と明記している(出典:Audinate「Networks and Switches」サポートページ)。この日のシステムは、既存の28チャンネルに収録用の8チャンネルを足して合計36チャンネルになっていた。32という境界線を、誰も意識しないまま超えていた。

数字で見るとさらにはっきりする。マルチキャストで送るDante音声は1チャンネルあたり約1.5Mbpsの帯域を使う(出典:Audinate「Dante Information for Network Administrators」2025年5月版)。36チャンネル分では54Mbpsになる。100Mbpsのリンクの半分程度に見えるかもしれないが、同じリンクには制御信号やPTPの同期パケットも同時に流れている。QoSの設定がなければ、これらのパケットが音声パケットと同じ列に並び、遅延と欠落を引き起こす。ギガビットが必須とされているのは、単なる余裕分の話ではなく、この競合を吸収するための設計上の境界線だからだ。

この話は、経験の浅い現場だけが陥る罠ではない。むしろ長く実績のあるシステムほど、後から静かにこの境界線へ近づいていく。マイクを1本足す。中継用のリターン音声を1系統足す。それぞれは小さな追加に見える。だが積み上げたチャンネル数は、ある日突然その境界線を越える。増設のたびに帯域を数え直す習慣がなければ、境界線は見えないまま近づいてくる。
たとえるなら、これは高速道路の車線に似ている。1車線の道路は、車が1台や2台なら何の問題もなく流れる。だが台数が増えるにつれ、どこかに必ず渋滞が始まる境界がある。境界を越えた瞬間に事故が起きるわけではない。ただ、流れが詰まり始める。IPオーディオのリンクも同じで、32チャンネルという境界を越えた瞬間に機材が壊れるわけではない。ただ、届くはずの音が届かなくなる。
解決策は存在する。リンク速度とチャンネル数と帯域計算を結びつける設計手順さえ踏めば、このトラブルは本番前に必ず発見できる。ステージボックスを増設するたびに漠然とした不安を抱える必要はなくなる。
この記事の有料部を読み終えると、次の3つが手元に揃う。
- 現在の音声システムの必要帯域を5分で計算するチェックの手順
- AES67のストリーム設計とDanteのフロー設計、それぞれの落とし穴を避ける具体的な手順
- IGMPクエリアの重複という、見えない場所で音声を消す原因の見つけ方と直し方

この設計を知らないまま増設を重ねると、本番中に原因不明の音声欠落が起き、原因を探している間、進行は止まる。次の増設で同じ事故を起こさないための手順を、このあとに書いた。


コメント