機材仕込みでの現象
副調整室でHDRモニターとSDRモニターに同じカメラ映像を並べて出した。SDR側だけ、空の色が真っ白に飛んでいた。ガンマカーブをその場で調整し直したが、色飛びは消えなかった。原因がHDR-SDR変換の基準輝度設定にあると気づいたのは、規格書を読み返してからだった。

この症状は珍しいものではない。HDR(High Dynamic Range)撮影は、もはや特殊な現場だけの技術ではなくなっている。ライブスポーツ中継、企業VP、配信イベント——HDRとSDRを同時に出す「同時制作」の現場は増える一方だ。だが、HDRを正しく設計するための基準値は、規格書の中に分散していて、現場で即座に参照できる形にまとまっていない。
HDRには方式が2つある。PQ(Perceptual Quantizer、SMPTE ST 2084)は、Dolby社が開発した絶対値方式のガンマカーブで、最大10,000cd/m²を基準に正規化されている(出典:SMPTE ST 2084規格書)。一方のHLG(Hybrid Log-Gamma)は、BBCとNHKが共同開発した相対値方式で、2015年7月3日にARIB STD-B67バージョン1.0として発行され、翌2016年7月にITU-R BT.2100へ採用された(出典:ARIB STD-B67 v2.0公式文書、ITU-R BT.2100)。この2方式、選び方を間違えると同時制作の設計そのものが崩れる。

色域の話も無視できない。BT.2020の色域は、BT.709と比べて約2.1倍の面積を持つ(CIE 1931色度図上でBT.2020が約75.8%、BT.709が約36%をカバーするという、RGB原色の色度座標を結んだ三角形の面積比較に基づく計算値。複数の技術資料で引用される数値)。この広さを正しく生かすか、逆に持て余して破綻するかは、露出設計とビット深度の設計次第だ。

たとえるなら、HDRとSDRの同時制作は「二刀流」に近い。1本のバットと1本のグローブを同時に扱うのではなく、1つの被写体を撮った1つの信号から、2種類の見え方(HDR用とSDR用)を同時に成立させる。二刀流の選手が体幹や重心といった共通の土台を崩さずに投球と打撃を使い分けるように、HDR-SDR同時制作でもグレーカードの基準値や肌色レンジという「共通の土台」を崩さずに、出口だけを使い分ける設計が要る。土台がずれた状態で無理に二役をこなそうとすると、今日のようにSDR側だけ色が飛ぶ、という事故が起きる。
方法は存在する。HLGとPQの選定基準、EBU規格が定める具体的な露出基準値、IP伝送でのシグナリングパラメータ、そしてHDR-SDR同時制作の変換基準——これらを1つの手順に落とし込むことができれば、今日のような事故は再現できる形で防げる。
この記事の有料部では、次のものが手に入る。

- HLGとPQを配信目的別に選ぶための判定基準
- EBU R153が定める露出基準値の早見表(グレーカード・肌色・HDR基準白)
- ST2110-20のSDPパラメータ設定例(TCS・colorimetry・depth・RANGE)
- HDR-SDR同時制作の8ステップ導入手順(所要時間つき)
- 導入前15項目チェックリストとトラブルシューティング6パターン
この設定を知らないまま本番を迎えると、色飛びやバンディングの復旧作業は本番中には終わらない。収録データそのものをポスプロで作り直す作業が発生する。次の現場で同じ事故を防ぐ具体的な手順が、このあとに続く。


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