本番が始まっているのにサブから電話が来た

中継配信スタート直後、スタジオから電話が鳴った。「映像、来てないよ」。
現場を確認する。ルーターのランプは全部緑。モデムも正常。SIMの残量も問題なし。でも映像は来ていない。
こういう場面に遭遇したことがある人なら、あの瞬間の空気感はわかるはずだ。「どこが悪いんだ」と焦りながら設定を見返しても、どこにも問題がない。その気持ち悪さは、何度経験しても慣れない。
原因は、回線の「種類」を間違えていたことだった。速度の数字だけを見て選んでいた。そこに落とし穴があった。
IP伝送が止まる本当の理由

回線速度の「最大値」が大きければ映像は安定する——そう思っている人が実に多い。だが実際は違う。
IP映像伝送の安定性を左右するのは、速度の「最大値」ではなく「最低値」だ。
「ベストエフォート型」と呼ばれるプロバイダーの共有回線は、同一の光ファイバーを複数の契約者が分け合っている構造になっている。深夜の動画配信ラッシュや、近隣オフィスのバックアップ処理が重なった瞬間、自分の映像データが詰まる。これがフリーズの正体だ。受信側の回線が混んでいるのに、どれだけ現場の機材を整えても意味がない。
さらに見落とされやすいのが、SRTという伝送プロトコルの「レイテンシ設定」だ。
SRTにはパケットが遅れて届いたときに「どのくらい待つか」を決めるバッファ時間がある。出荷時のデフォルト値は120ミリ秒(ms)になっている。だがLTE回線では往復遅延(RTT)が平均50ms前後発生する(SRT Alliance公式仕様書)。SRTの設計原則として、レイテンシはRTTの3倍以上に設定しなければならない。つまり最低でも 150ms(= 50ms × 3) が必要だ。デフォルト120msでは、計算上すでに足りていない。
もうひとつ。送信するビットレートに対して、帯域のオーバーヘッドを確保していない設計も止まる原因になる。H.265/HEVCで1080p60の映像を15Mbpsでエンコードし、パケット再送に備えてオーバーヘッドを30%取った場合、必要な実効帯域は 19.5Mbps(= 15 × 1.30) になる。15Mbpsの回線契約で15Mbpsを送ろうとしている現場を、今まで何件も見てきた。
「回線があるのに映像が来ない」の正体

複数のモバイル回線を束ねて映像を送る仕組みを、もう少しわかりやすく言おう。
ヤマト運輸・佐川急便・日本郵便が、同じ荷物を3つに分けて、それぞれ別のルートで同時に届けているとイメージしてほしい。到着する順番はバラバラだ。スタジオ側の「デコーダー」という管理人が、荷物番号を見ながら正しい順に並べ直している。その並べ直しに使える時間が「SRTレイテンシ」だ。管理人の持ち時間が足りなければ、荷物は廃棄される。映像では、それが「ブロックノイズ」や「フリーズ」として現れる。
送る側の回線設計だけを整えても、受け取る側の回線が共有型で詰まっていれば止まる。SRTの設定が甘ければ止まる。そしてモバイルSIMの選び方が間違っていても止まる。
この3点が揃って初めて「止まらないIP中継」が完成する。方法はある。設計の話だ。
この記事で手に入るもの

- 受信スタジオの回線を「止まらない構成」に変える選定の判断軸
- SRTレイテンシと帯域オーバーヘッドの計算式(本番設定値付き)
- 送信側モバイルSIMをマルチキャリアで束ねる正しい構成パターン
- マルチSIMボンディングとアクティブ切り替えSIMを比較した判断フロー
- 3拠点同時中継を実現する統合ネットワーク構成の全体像
これを読めば、次の現場の前日に「この設定、合ってたかな」と不安になることはなくなる。
よくあるミス——あなたは大丈夫か
ミス① 受信スタジオにベストエフォート回線を使っている 速度が速ければ大丈夫、という思い込みが多い。共有型はどれだけ「最大値」が大きくても、混雑時に帯域を保証しない構造になっている。これを知らずに選んでいる現場は今も少なくない。
ミス② SRTレイテンシをデフォルト120msのまま運用している デフォルト値は汎用設定であって、LTE/5G中継向けに最適化された値ではない。RTT × 3という計算を一度もやったことがない人は、今すぐ見直すべきだ。
ミス③ コンシューマー向けSIMをロケ現場に持ち込んでいる 月間50GBを超えた段階で速度制限が入るSIMで、高ビットレートの連続アップロードを続けている現場を今も見かける。上りトラフィックに特化した業務用SIMの存在を知らないまま運用しているのは、明らかに設計ミスだ。
知っているか知らないかだけで、次の本番の結果が変わる。


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