ハウリングを防ぐIP化PAシステムのゲイン設計講座
登壇者が壇上の中央に進み出て、ワイヤレスマイクを口元に近づけ直した瞬間、会場全体に「キーン」という甲高い音が突き抜けた。音響オペレーターはとっさにフェーダーを絞ったが、音が完全に消えるまでにコンマ数秒の間があった。客席の何人かが耳を押さえ、司会者は苦笑いで場をつないだ。マイクもスピーカーも壊れてはいない。壇上に一歩踏み出したという、それだけの動きが引き金だった。

ハウリングは、マイクが拾った音をスピーカーが再生し、その音を再びマイクが拾うという「輪」の中で、一周ごとの増幅率(ループゲイン)が1倍(0dB)に達したときに発生する。音の大きさは距離の逆二乗則に従うため、マイクとスピーカーの距離が半分になると音圧レベルは約6dB上昇する(SPL=20×log₁₀(1/距離)という基本式から導かれる物理法則)。壇上を1歩前に出ただけでも、その1歩が輪の中を回る音のエネルギーを押し上げ、ループゲインを0dBの側へ近づけてしまう。この「輪の中の増幅率」という考え方は、音響学の古典的設計手法であるPAG-NAG法(Boner & Boner, 1969年に体系化)の土台にもなっている。同手法は、理論上のフィードバック限界から6dBの安全マージンを引いた値を実用ゲインの上限とする、という考え方を示している。

ハウリングの正体は、雪山を転がり始めた雪玉に似ている。輪を一周した最初の音は、わずかに増幅されただけで気づかれもしない。だが二周目、三周目と輪を重ねるたびに音量は足し算ではなく掛け算で膨らみ、数秒のうちに制御不能な音に変わる。だからハウリングは「オペレーターの反射神経が遅かった」問題ではない。増幅の掛け算がゼロ地点(0dB)を超える前に、輪のどこかを断ち切れる設計になっていたかどうかの問題だ。壇上で一歩前に出た登壇者を責めても、次の現場でまた同じ輪が生まれる。

ゲインを一律に下げるだけでは声が痩せ、後方の客席まで届かなくなる。プロの現場では、マイクとスピーカーの配置角度、発振周波数だけを狙い撃つ処理、そしてIPネットワーク化されたDSPが持つ自動抑制の仕組みという三つの層を組み合わせて、「輪を断ち切りながら、声量は落とさない」設計をしている。その具体的な手順と、Dante対応DSPでの設定の考え方は、この先に書く。
有料部を読み終えると、次が手元に揃う。
- 発振する直前のゲイン値(ゲインビフォアフィードバック)を現場で数値化する測定手順
- 3:1の法則に基づいたマイクとスピーカーの配置を図面に落とし込む考え方
- IPネットワーク化されたDSPの自動フィードバック抑制機能を有効化する設定手順
- ワイヤレスマイクのダイバーシティ受信が引き起こす特殊なハウリングの見分け方
- 本番前5分でできる自己診断チェックリスト

この設計を知らないまま本番を迎えると、ハウリングが起きてから鎮まるまで、フェーダー操作だけで対応する数秒から数十秒の時間がかかることがある。その間、観客の耳に残るのはノイズだけだ。次の現場で同じ輪を作らないための具体的な手順が、このあとにある。


コメント